「張り子の招き猫」と「猫観音」のひみつ

文・内村コースケ
写真・伽賀隆吾

妙義山を望む「招き猫の寺」

招き猫とゆかりが深い寺と言えば、東京・世田谷の豪徳寺が有名だが、群馬県にも招き猫のお寺がある。妙義山を望む安中市の「海雲寺」だ。ここの招き猫は、目の周りと手足の一部がオレンジ色で、赤い縁取りの黒い前掛けをしているのが特徴。真っ白で赤い首輪と鈴をつけた豪徳寺の招き猫とは趣が違って、これもまた愛らしい。

海雲寺は、先代住職が豪徳寺で修行をした縁で、招き猫発祥の地とされる豪徳寺の招福観音の分身を祀るようになった。その「招福殿」に鎮座する御本尊が、ひときわ異彩を放っている。招き猫と観音様が合体した不思議な木彫り。猫好きならばそのどことなくシュールで愛らしいパワーに圧倒されるに違いない。

入口に大きな招き猫が鎮座する海雲寺招福殿
海雲寺招福殿の御本尊

豪徳寺の招き猫はお寺でいつでも購入できるが、海雲寺の招き猫は、大祈祷法会がある1月18日にのみ、境内で販売される。面白いのは、役目を終えた招き猫が、この日に「お焚き上げ」されることだ。一般的な招き猫は陶器製で燃やせないが、海雲寺の招き猫は張り子なので燃やして供養できるのだ。ちなみに、豪徳寺では、お役目を終えた陶器製の招き猫がそのまま奉納されるため、大小様々な招き猫がずらりと並ぶ有名な光景が生まれる。

一般的には、逹磨(だるま)のお焚き上げ供養がよく知られている。海雲寺では、全国的にも珍しく、達磨と招き猫が一緒にお焚き上げされる。達磨で有名な高崎の少林山達磨寺が近くにあり、招き猫と達磨の文化が融合したと考えられる。あとで分かったことだが、実際、高崎名物の逹磨と海雲寺の招き猫は、同じ町で作られている。

この日、招き猫と逹磨を同時に供養しにきた女性に話を聞いた。「酒屋をやっているのですが、どちらも商売繁盛を願って置いています。人を呼ぶ招き猫はお客様に向けてのもの。神棚の両端に達磨、その間に招き猫を置いています」。ローテーションで一つずつ位置をずらしてはみ出た最も古いものをお焚き上げして、空いたスペースに新しい逹磨、もしくは招き猫を補充するローテーションを長年続けているという。

お焚き上げのために集められた招き猫と逹磨
供養のため。招き猫と達磨を両方持ってくる人も

張り子の招き猫の工房

招き猫職人の荻原浩史さん

海雲寺の招き猫は、古くから達磨の製造が盛んな高崎の豊岡地区で作られている。養蚕農家のネズミ避けのお守りとして使われていた猫の張り子が発祥という。高崎周辺は、もともと養蚕が盛んな地域だ。世界遺産の富岡製糸場も近い。猫は、製糸場で作られていた絹糸の原料となる蚕を狙うネズミの天敵。養蚕で栄えた地域性と古くからある達磨の文化が融合して、独特の「張り子の招き猫」が生まれた。

その豊岡地区を訪ねると、旧中山道沿いに、中庭にたくさんの制作途中の招き猫が並ぶ古い瓦屋根の工房があった。表に回って中に入ると、数人の女性たちに混じって、伝統工芸品の職人のイメージにしては若く見える男性の姿があった。

その人こそが、海雲寺の招き猫の伝統を守る五代目の荻原浩史さん(42)。荻原家では、明治初期から張り子の招き猫づくりを続けている。「今ではこうして縁起物として手作りの伝統を受け継いでいます。年間1万体くらい作っていますよ」。荻原さんの周囲には、大小さまざまな未塗装の招き猫が並ぶ。俵に刺さった乾燥中の猫たちがなんだか愛らしい。それらが荻原さんら職人さんたちの手で丁寧に塗装されると、目の周りがオレンジ色のこの地域独特の招き猫となる。

よく見ると、右手を上げている猫と左手を上げている猫がいた。「右手を上げているのは、『お金・福』を招く商売繁盛の縁起物。左手を上げている猫は『人・客』を招き、千客万来が叶うと言われています」。伝統工芸品には、何気ない所にも必ず意味がある。

塗装前の招き猫たち
チャームポイントのオレンジ色が吹き付けられた姿

もう一つの猫観音

もう一つの猫観音。その正体は?

さて、「猫観音」の御本尊の方に話を戻そう。事前の取材で、作者は雅号を「外骨(がいこつ)」と名乗る彫刻家だということは分かっていた。戦後に安中で理容業をしながら活躍した知る人ぞ知る彫刻家で、木彫の母子像など多くの入賞作を生み出した。昭和43年に惜しくも50代の若さで亡くなっている。ちなみにこの方、女優の中嶋朋子さんの祖父でもあり、中嶋さんのエッセイ『めざめの森をめぐる言葉』(講談社)で、そのしなやかな人物像が語られている。

外骨さんの三男、大滝宣隆さん

海雲寺から車で15分ほど走ると、外骨さんが暮らしていたお宅がある。今は、三男の大滝宣隆(のぶたか)さん(79)が継いでいる。宣隆さんは、演歌を中心とした歌手・作曲家で、現在は実家の敷地内でカラオケスナックを経営。ぜひ、お父様と「猫観音」にまつわるお話を聞きたいと、お店に宣隆さんを訪ねた。

「父の本名は、大滝与三治(よさじ)と言いましてね。家には父の作品や、父のもとに集まった貴重な美術品が多く残っていますよ」と、宣隆さん。応対していただいたカラオケスナックは、ステージもある広い店舗で、コロナ前までは歌の教室や歌手のリサイタルも頻繁に開いていた。

話を聞きながら気になって仕方なかったのが、バーカウンターにどん、と立っていた高さ1mほどの木彫りだ。海雲寺の御本尊同様、下半身に猫が融合した「猫観音」である。こちらの方が造りが荒々しく、色も濃い。「円空仏的な作品ですね。本人はこっちの観音様の方をより気に入っていました」。今はコロナで客足が遠のいている薄暗いカラオケスナックの中央に、円空仏を置かせてもらった。足元に猫を抱いた神秘的な姿と相まって、重々しくシュールな空間が生まれた。

「もう一つの猫観音」の全貌。

骨になれば偉い人も貧乏人も皆同じ

好んで制作したという母子像

ご自宅に収蔵する作品も見せてもらった。木彫、能面、ブロンズ像など、多彩な作品が屋根裏部屋に無造作に並ぶ。その中で、プリミティブなタッチの木彫りの母子像が特に目を引いた。「父は生まれてすぐに母親を亡くしましてね。母親の愛情を知らないから、母と子の作品ばかり作っていました」。

自身の姿を彫った頭部の木彫もあった。仏前の肖像画と見比べてみる。彫像の方は芸術家「外骨」の強固な意思を感じさせる力強い作品。肖像画の方は、家庭人としての「大滝与三治」の顔に見えた。

自身の頭部を彫った作品(左)と肖像画

「猫観音は晩年の作品です。波瀾万丈な人生でね。諏訪(長野県諏訪地方)の商家の出なのですが、絵や彫刻ばかりやっていたので、母親が死んでから入ってきた後妻に追い出されました。それで上州に流れてきて床屋を始めたのですが、当時、新参者はヤクザにいじめられましてね。それでも『俺は負けない』と、彫刻家と床屋の二足のわらじで寝る間も惜しんで働き、作品を作り続けました。自分もそんな父を見てきたせいか、スナックを始めた当初、邪魔してきたヤクザと裁判まで争って2つ組を潰しましたよ」。宣隆さんはそう言うと、ニヤリと笑って父の猫観音に視線を移した。

芸術家、そして、男としての矜持を守った父。その背中を見て育った宣隆さんは歌の道へ進んだ。「兄もシンガーソングライター。姉は役者、次兄は写真の道です。皆何かしら、父の血を引いていると思います」。

宣隆さんが店の守り神にしている「円空仏の猫観音」を見ていると、外骨さんの実母への想いが観音様の慈愛に満ちた姿に、ご本人の骨太な生き様が全体の荒々しいタッチに、そして、神秘的でありながら愛嬌のある猫の力強い表情には、柔軟な発想に基づいた人生哲学が込められているように思えた。

「外骨っていう名にはね、『骨になるとどんな偉い人も貧乏人もみんな同じ』という意味が込められているんです」。そんな素敵な作家の姿に触れられたのも、「張り子の招き猫」のお利益かもしれない。

愛犬と一緒に海雲寺に招き猫を買いにきた女性

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