リタイア犬日記
第1回 老犬との穏やかな日常

我が家にはアイメイトのリタイア犬がいます。アイメイトとは、「(公財)アイメイト協会」出身の盲導犬で、彼は10歳まで視覚障害者のパートナーとして暮らした後、私たち夫婦のもとへやってきました。自然豊かな高原で家庭犬として暮らす穏やかな老後を、日常のワンシーンを切り取った写真とともに紹介します。
(内村コースケ / フォトジャーナリスト)

※本連載は、『愛犬の友』2020年1月号から最終号の同年7月号まで掲載された「リタイア犬日記」を引き継いだものです。

歳を重ねるほどに深まる愛情

アイメイトは、母犬(メスの繁殖犬)を預かる「繁殖奉仕者」というボランティアの家庭で生まれ、生後2カ月を過ぎると成犬になるまで「飼育奉仕者」のもとで約1年間暮らし、協会で訓練・歩行指導を受けた後、パートナーの視覚障害者の目として生活を共にする。いつまで現役を続けるかは各々の使用者の判断に任せられるが、概ね体力に余力を残した10歳前後で引退するケースが多い。

パートナーをリタイアさせた使用者は、その後も自立した生活を送り続けるために、新しいパートナーを得る必要がある。安全で質の高いアイメイト歩行には新しいパートナーとの絆が第一となるため、リタイア犬は、協会を通じて「リタイア犬奉仕者」と呼ばれるボランティア家庭に引き取られ、家庭犬として新たな生活を送るシステムになっている。

僕たち夫婦がリタイア犬奉仕者になったのは、2019年9月のことだ。犬が好きで、写真と文章を生業としている僕は、人類の最高のパートナーである犬の中でも、特に強いパートナーシップで結ばれているアイメイトと人々の絆に惚れ込み、2007年から撮影と取材を続けている。その過程で、自分も奉仕者になりたいという希望はずっとあって、12年の時を経てようやく実現したというわけだ。

「繁殖奉仕」「飼育奉仕」に加えてアイメイトになれなかった犬を家庭犬として引き取る「不適格犬奉仕」もある中で、なぜ必ず最期を看取ることになるリタイア犬奉仕を選んだのか。一言で言えば、「老犬が愛おしい」からだ。これまでに実家の犬を含めて4頭の家庭犬を看取ってきたけれど、犬は子犬の頃から最期まで、ずっと変わらず全身全霊で愛情を寄せてくれる。子犬は無条件でかわいいし、若くて元気な犬との生活はキラキラしている。そして、歳を重ねるほどにお互いの愛情は深まっていく。犬は、子供がいない僕たち夫婦にとってはいつまでも子供のような存在であり、老犬の愛情ほど深いものはない。

本名を明かせないわけ

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我が家に来てくれたリタイア犬には当然、元の生活で呼ばれていた名前があり、僕らもそれを引き継いでいる。しかし、残念ながらここで本名を明かすことはできない。そこで、本連載では仮名の「マメスケ」と呼ぶことにする。というのは、アイメイト協会では、名前をはじめとする犬の“個人情報”を特に不特定多数に向けてSNSなどで明かすことを原則禁じているからだ。これは、現役のアイメイトでも、候補犬でも、リタイア犬でも変わらない。

それにはもちろん理由がある。たとえばリタイア犬奉仕者がリタイア犬と共に元の使用者と過剰に関わってしまうと、現在の新しいパートナーとの関係を壊すことになりかねない。あるいは、飼育奉仕者が1歳まで育てた「うちの子」の行方を追って使用者やリタイア犬奉仕者のもとに望まれない形で押しかけても、同様の懸念が生じる。「アイメイト歩行を通じた視覚障害者の自立支援」というアイメイト事業の本来の目的を第一に考えれば、そうしたリスクは絶対に避けなければならない。

それに、犬が心の奥底にしまっている過去の絆を掘り起こすことが、本当の意味での美談だとはアイメイト協会は考えていない。僕も同感だ。ケースバイケースで偶然や自然な形での再会はあって然るべきだと思うが、少なくとも、不要不急な再会を積極的に奉仕者が仕掛けるべきではない。残念ながら、近年は自分の身勝手な感情だけで執拗に犬の出自を追う人が一部で目立っている。SNSの普及によるリスクと相まって、以前は各自の節度に任されていたルールを厳格化せざるを得ないのが、残念な現状だ。

ずっと一緒にいられる幸せ

なにはともあれ、我が家に来て2年目の今年、マメスケは無事12歳の誕生日を迎えることができた。基本的には元気に毎日を過ごしているが、健康に全く不安がないわけではなく、弱り始めている腎臓の薬を飲んでいる。その影響もあって散歩中に時々心臓が苦しそうな様子を見せることもあり、無理は禁物だ。

老犬には多かれ少なかれ健康不安はつきものだが、多くのリタイア犬奉仕者は、のんびりとした余生を過ごしてもらうのが一番だと、無理のない形で健康寿命の維持に努めている。その形は人ぞれぞれで、「たくさんの楽しい思い出を」と、リタイア犬のためにキャンピングカーを買って積極的に旅行に連れて行く人もいれば、ほかの若い犬たちとにぎやかな暮らしを送らせる人、老人ホームや学童施設を訪問し、多くの人とのふれあいの機会を作る人もいる。

うちの場合は、なるべく穏やかな日常を過ごしてもらうのが一番だと考えている。10年前、犬との暮らしを少しでも豊かにするため、東京から八ヶ岳山麓の高原に引っ越してきた。仕事の関係でまだ東京に部屋を持っていて行き来はしているのだが、自宅で仕事をしている妻が自然豊かな環境で365日マメスケと一緒にいてくれる。公共交通機関に乗れ、職場やレストランなどにも入れるアイメイトは、常に使用者と一緒にいた。そのため、リタイアしても一般の家庭犬以上に、飼い主と「ずっと一緒」を望む。だから、できるだけのびのびとした環境で「一緒にいる」日常を提供することが、マメスケの幸せだと僕らは信じている。

穏やかで優しい子

四季に彩られた高原の暮らしは、マメスケを迎えて間もなくして訪れたコロナ禍の社会でも、ストレスフリーだ。温暖化が叫ばれる中でも、標高1380mの我が家にはクーラーは必要ない。定住者の少ない別荘地の片隅なので、周辺の散歩道は車がほとんど通らない私道だ。

マメスケは、もともとこれ以上ないほど優しい性格で、穏やかな子ばかりのアイメイトの中でも、特におっとりしている。家の周りの山に暮らしている鹿の気配や変わりやすい山の天気の雷鳴に心乱されることはあるようだが、去年より今年、昨日より今日の方が、より穏やかな表情になっているように見える。

マメスケのおかげで、僕たちもまた、穏やかになれたと思う。散歩ですれ違う人たちから必ずといっていいほど「優しいね」「穏やかだね」と言われるのが何よりも嬉しい。

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(プロフィール)
 内村コースケ
1970年ビルマ(現ミャンマー)生まれ。少年時代をカナダとイギリスで過ごした。早稲田大学第一文学部卒。中日新聞社会部などで記者を経験後、カメラマンに転身。同東京本社(東京新聞)写真部でアフガン紛争の撮影などに従事した。2005年よりフリーとなり、「撮れて書ける」フォトジャーナリストとして、ペット・動物愛護問題、地方移住、海外ニュース、帰国子女教育などをテーマに撮影・執筆活動をしている。特にアイメイト(盲導犬)関係の撮影・取材に力を入れている。ライフワークはモノクロのストリート・スナップ。日本写真家協会(JPS)正会員。

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